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2020年5月24日 (日)

石川啄木伝東京編1910年(明治43)その135

 事実多良学はこれを批判し、前者は「青年の中の、時代に
先んじ、急(せ)いて自らの理想を実現しようとする人達(こ
の場合は特に文学青年……)」をさし、後者は「当時国法で
公認されていた公娼、半公娼の状態にあった私娼その他
性的欲望を満たす社会的存在」をさす、と言った 。
 わたくしは多良の解釈も正しいと思う。しかし多良はこの
箇所をこの文脈の中でのみ読んでいるのである。その限り
では正しいのである。しかし幸德事件後の啄木の最大関心
事はまさにその幸德事件であり、最大の緊張下に事件が提
起した問題と取り組んでいる最中であることを忘れてはな
らない。この評論が中断した「所謂今度の事」の続きを別
な切り口から書きついだものであることも忘れてはならない。
 「所謂今度の事」(四)ではこう書いた。「社会主義者
にあつては、人間の現在の生活が頗(すこぶ)る其理想と遠きを
見て、因を社会組織の欠陥に帰し、主として其改革を計ら
うとする。而して彼の無政府主義者に至つては、実に、社
会組織の改革と人間各自の進歩とを一挙にして成し遂げよ
うとする者で有る。……無政府主義者とは畢竟『最も性急
(せつかち)なる理想家』の謂でなければならぬ」と。この
「無政府主義者」には幸德事件の被告たちも含まれており、
かれらこそまさに当代日本の「最も急進的な人達」である。
他方で啄木は青年が「理想を失ひ、方向を失ひ、出口を失
つた状態に於て、長い間鬱積して来た其自身の力を独りで
持余してゐる」と書き、またその三段階の「愛国心」を書
くが、青年の「急進的な」傾向などどこにも具体的に書い
ては来なかった。その啄木が「女郎買、淫売買、乃至野合、
姦通の記録」の著者たちをまともに「最も急進的な人達
と呼ぶであろうか。この「時代閉塞の現状」(二)で「
売屋から出て来る自然主義者の顔と女郎屋から出てくる芸
術至上主義者の顔と、其表れてゐる醜悪の表情に何等かの
高下が有るだらうか」と書いている啄木ではないか。また
これを書くひと月ほど前に近藤元の女郎買いの歌を痛烈に
批判して「次の時代と云ふものに就ての科学的、組織的考
察の自由を奪はれてゐる日本の社会に於ては斯(か)ういふ自
滅的、頽唐的なる不健全な傾向が日一日若い人達の心を侵
蝕しゝある……」と書いている。これを「急進的」と評す
る気配は微塵もない。かれらを本気で「最も急進的な人達
と呼ぶ啄木ではない。

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