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2020年5月28日 (木)

石川啄木伝東京編1910年(明治43)その138

(五)はこう始まる。
 明日の考察! これ実に我々が今日に於て為すべき唯一で
ある、さうして又総てゞある。
 その考察が、如何なる方面に如何にして始められるべきで
あるか。それは……
と。息もつかせぬ展開である。そしてここ10年間の青年の
三次の経験」つまり、樗牛時代・梁川時代・「純粋自然
主義との結合時代」を総括した後にこう提起する。
 一切の空想を峻拒して、其処に残る唯一つの真実――
「必要」!これ実に我々が未来に向つて求むべき一切であ
る。我々は今最も厳密に、大胆に、自由に「今日」を研究して、
其処に我々自身にとつての「明日」の必要を発見しなけれ
ばならぬ。必要は最も確実なる理想である。
 「必要」になぜカツコと感嘆符が付せられているのか?
次の文章の「必要」に注目し、「其財産階級」を「強権」と
読み替えてみよう。
 ……吾人の必要を感ずるのは実に一個の社会的革命であ
る。 此の革命の切迫せること、其遠からずして破裂すべき
ことは、是れ亦富者と貧民と共に均(ひと)しく認むる所である。
 思想上の一大変化は、既に19世紀の後半中に成就せるに
拘らず、其財産階級の為めに圧伏され、其自然の発達を杜絶
(とぜつ)さるゝこと、彼れが如くなりしが故に、今や此新精
神は暴力をもて其束縛を破却し、一個の革命に於て夫れ自
身を実現するの已(や)むなきに至つた。

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