« 石川啄木伝東京編1910年(明治43)その131 | トップページ | 石川啄木伝東京編1910年(明治43)その133 »

2020年5月21日 (木)

石川啄木伝東京編1910年(明治43)その132

 こうして(四)がつぎのように書き起こされる。
 斯くて今や我々には、自己主張の強烈な欲求が残つてゐ
るのみである。自然主義発生当時と同じく、今猶理想を失ひ、
方向を失ひ、出口を失つた状態に於て、長い間鬱積して来た
(それ)自身の力を独りで持余してゐるのである。
 既に断絶してゐる純粋自然主義との結合を今猶意識しか
ねてゐる事や、其他すべて今日の我々青年が有(も)つてゐ
る内訌(ないこう)的、自滅的傾向は、この理想喪失の悲しむ
べき状態を極めて明瞭に語つてゐる。――さうしてこれは
実に「時代閉塞」の結果なのである。
 ついで「見よ、我々は今何処に我々の進むべき路を見出
し得るか」と書きつぎ、時代閉塞の現状を例示してゆく。
 つぎの例示箇所と『平民主義』の一節とを比較してみよう。
毎年何百といふ官私大学卒業生が、其半分は職を得かね
て下宿屋にごろごろしてゐるではないか。
 今度は『平民主義』の一節。「見よ、彼の光輝ある希望
を抱いて、官私の各大学各専門学校を出るの青年、年々幾
千人ぞ、而して年々幾千の新たなる職業は決して彼等の為
めに供給せられざる也。」(「凄惨の声」) 
 啄木は秋水の一文を下敷きにして書いたのであろう。
そもそも『平民主義』のなかで幸徳秋水が全身全霊をかた
むけて闘っているのは、まさに時代閉塞の現状そのものな
のである。『平民主義』のエッセンスが大量に評論「時代
閉塞の現状」に(とくにこの四に)流れ込んでいる。

 

« 石川啄木伝東京編1910年(明治43)その131 | トップページ | 石川啄木伝東京編1910年(明治43)その133 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 石川啄木伝東京編1910年(明治43)その131 | トップページ | 石川啄木伝東京編1910年(明治43)その133 »

無料ブログはココログ

最近のトラックバック