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2020年7月 1日 (水)

石川啄木伝東京編1910年(明治43)その166

 また16日以後まもなく最初の歌論「一利己主義者と友人
との対話」を執筆・寄稿していることもわかる。啄木は9月
朝日歌壇を設けるに先立ち歌論を書こうと試みた。が短歌
に関する自身の見解を整理できぬままに中断した。
『一握の砂』の完成原稿を仕上げた今かれの短歌観は熟成
していた。「創作」10月号に載った尾上柴舟の「短歌滅亡
論」という執筆上の足がかりもあった。啄木調と三行書き
の天機が記されることとなった。これも牧水の「創作」と
いう媒体の賜である。
 「一利己主義者」とは一人の自分がかわいくてならぬ男、
つまり「我を愛する歌」の作者石川啄木、「友人」は並木
武雄。函館時代の親友達(岩崎正・宮崎郁雨・吉野省三)
は『一握の砂』で各三首の歌によって記念しているが、
並木武雄には最初の歌論に相棒役として登場させ、記念す
る。啄木の友情はいつも篤い。
 16日~25日にはさらに「スバル」11月号に110首、
「文章世界」11月号に16首、「ムラサキ」11月号に詩一編
を寄せたとみられる。そのあとに「田園」一巻一号にエッセ
イ「田園の思慕」 を、「曠野」9号に歌16首を寄稿した
のであろう。
 吉野章三に書いたとおなじ22日啄木は郁雨あてにも手紙
を書いている。そこで「もう二三日にて歌集の校正」がは
じまると言っている。

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