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2020年6月26日 (金)

石川啄木伝東京編1910年(明治43)その163

 編集・清書が完了したのは15日か16日午前である。
そして東雲堂にその「一握の砂」完成原稿が手渡されたの
は16日の午前または昼であろう。根拠は以下のとおり。
丸谷喜市に「回想の啄木―著者みづからの『一握の砂』の
朗読―」という文章がある 。
 啄木といへば、東京、本郷弓町の喜之床の二階を思ひ出
す。殊に彼が居間、兼書斎、兼応接間として用ひてゐた八
畳の間を思ひ出す。……
 私が同郷の友人の並木君に案内されて初対面ではない
が初めてそこを訪ねたのは、明治四十三年十月初旬、ちや
うど啄木が『一握の砂』の原稿を東雲堂に渡したといふ日
であつた。啄木は別に原稿の控へをもつてゐた。並木君が
手に取らうとすると、『おつと其れは僕でなければ読めない、
かう云ふ歌だ』と言つて啄木が読み始める。と云ふのは、
其の原稿は、『東海の』とか、『頬につたふ』とか、『ふる
さとのそら遠みかも』とか言つたふうに、一首一首の歌の、
はじめの五字ないし、五、七字を走り書きしたメモに外な
らなかつたからである。
 ほかげなき室に我あり父と母かべのなかより杖つきて出づ
 たはむれに母を背負ひてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず
 よる寝ても口笛ふきぬ口笛は十五の我の歌にしありけり
 はな散れば先づ人さきに白の服着ていへ出づる我にてありしか
 盛岡の中学校のバルコンのてすりにも一度われを倚らしめ
 そのむかし小学校の柾屋根に我が投げし鞠いかにかなりけむ
 石をもて追はるるごとくふるさとを出でしかなしみ消ゆる時なし
 やはらかに柳あをめる北上の岸べ目に見ゆ泣けとごとくに

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