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2020年6月24日 (水)

石川啄木伝東京編1910年(明治43)その161

 この段階でこんどできる「一握の砂」は五(?)章仕立て、
歌数四百余首の内容であることが窺える。さらに「体裁は
四六版背角にて表紙の色及び紙質は土岐氏の“Nakiwarai”
と同じにしたし」と指定、さらに「表紙に赤及び黒二色刷
の画(書名入)を一枚貼りつけたく」その画家には名取春
仙(僊)がよい、とまで指定している。
 翌10日午前、啄木は郁雨あての手紙で「(この歌集を)
真一の生れた日(10月4日)二十円で東雲堂に売つた、今
原稿書替中、来月中頃までに出る」と報じている。さらに
北海回顧の歌(百余首)は『忘れがたき人々』といふ題
で一まとめにして入れる」という。
 ここは注目に値する。第三次「仕事の後」のなかにある
歌でのちに「忘れがたき人人」(一、二)に収められる歌
は計29首であるが、10月10日の段階ではそれが「百余首」に
なっている。 仮にこれを105首とすると、
105首-29首≒76首(七五首前後)で、この数字は「新たに
七八十首を加へ候」(前掲書簡)の「七八十首」にほぼ相
等しい。つまり10月の4日から10日までの間に創り出した
歌はほとんどすべてが「忘れがたき人人 一」に収められる
歌だったということになる 。しかも前述のごとく章立ての
なされている事も分かる。啄木はおそらく北海道時代の日
記などを繰りながら回想歌を作っていったのであるとおも
われる。とすれば、つぎにおのずから渋民村思郷・回想歌、
盛岡時代の回想歌を大補強しようと考えたにちがいない。
10月4日段階ではのちに「煙 一」に入ることになる歌はま
だ9首、「」のそれは13首しかない。あと79首が10日以後
に作られるであろう。「煙」の歌は計101首なのだから。
その過程で「煙」は一(盛岡中学校時代の回想歌群)と二
(渋民村懐郷・回想の歌群)の二節に分けられることになる。

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