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2020年7月 2日 (木)

石川啄木伝東京編1910年(明治43)その167

 しかし実際には29日になって「見本組」が届いた。この
日づけの西村辰五郎あて書簡がある。冒頭は28日午前0時
すぎに死んだ長男真一への西村の弔辞にたいする謝辞、火
葬の報告などが記される。以下はそのつづきである。
 お送り下され候ふ見本組、矢張四六版に願ひたく、体裁
の儀は朱書いたし置候、仰せの如く序文は書きかへねば都
合をかしく候に付、あの一枚だけ一寸お送り戻し下され度
願上候、それからこの組方は土岐氏の“NAKIWARAI”と同じ
大いさ(四六版ニテ竪五分許り短カキ)でなければ少々変
なるべしと存候に付、……それから表紙に貼りつける絵は
名取氏の方にて出来次第お送り致すべく、……
 この書簡以後12月1日(『一握の砂』刊行の日付)まで
の約1カ月間について立ち入った分析を加えたものはいな
かった。2003年になって大室精一がはじめてこの問題に踏
み込み精力的に論考を発表した。以下の考察はそれらの論
考から刺激と示唆とを受けてなったことをまず記しておき
たい。
 この10月29日付書簡はつぎの日付不明の書簡と照合しつ
つ読むことでこれまで闇の底に沈んでいた過程の一部に光
をあてることが可能となる。 

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