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2020年7月25日 (土)

石川啄木伝東京編1910年(明治43)その185

 自分を「生活者」と認識するようになり、世の中の無数
の「生活者」が自分と同じ立場の人間たちであると理会し
て、すでに1年経っている。
 1910年10月の今、北海道時代の人々はみななつかしい生
活者として立ち顕れた。歌は日記の中から湧くように生ま
れてきた。歌を作りながら啄木は国木田独歩の名作「忘れ
えぬ人々」を思い浮かべたのであろう。
 「忘れえぬ人々」とは無名の文学者大津弁二郎が、旅先で
出会った人々である。それも「本来をいふと忘れて了つた
ところで人情をも義理をも欠かないで、而も終に忘れて了
ふことの出来ない」人々である。
 たとえば、瀬戸内海を汽船で行くとき、一キロほど向こ
うの小さな島の磯で唯一人海のものを二三歩毎に拾っては
籠に入れていた人。また阿蘇山の噴火口の宿駅・宮地で夕
方出会った若い馬子である。かれは馬子唄をうたいつつ、
空車をつけた馬を牽いて行き過ぎた。さらに四国の三津が
浜魚市場の雑踏付近の街で見かけた四五、六の琵琶僧、など。
 大津は「生の孤立を感じて堪え難いほどの哀情を催ふし
て来る」時、「油然として」心に浮んで来るのが「此等の人
々を見た時の周囲の光景の裡に立つ此等の人々である」と
いう。「皆な是れ此生を天の一方地の一角に享けて悠々た
る行路を辿り、相携へて無窮の天に帰る者ではないか」と。

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