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2020年7月17日 (金)

石川啄木伝東京編1910年(明治43)その179


 「明治四十四年当用日記補遺」の「前年(四十三)中重要記
事」の中に以下のような記述が見える。 
 十二月――初旬『一握の砂』の製本成る。序は薮野椋十氏
(渋川氏)表紙画は名取春僊君。一首を三行として短歌在来
の格調を破れり。定価六十銭。

   『一握の砂』の成立と構造

 啄木の短歌を自然主義の系列に入れるのが、文学史の常識
であるらしい。しかしそれは間違いである。
 啄木が自然主義の歌人(とくに前田夕暮)に学んで、啄木
調短歌を開拓したのは1910年(明43)3月~4月である
ことはすでに見た。この時の啄木はすでに田中王堂を克服し、
自然主義を超えて、さらに高い思想を求めてクロポトキン等
を読み始めていた。
 そして『一握の砂』を創造する頃には、すで見てきたような
石川啄木になっていた。
 加藤周一は言う。
 啄木は一九一〇年八月に、「官私大学卒業生が、其半分は
職を得かねて」いて、「学生のすべてが其在学時代から奉職口
の心配をしなければならなくなつた」状況を指摘して、「理想
を失ひ、方向を失ひ、出口を失つた」青年たちの、「内訌的、
自滅的傾向」について書いた。そのとき、明治寡頭制権力は、
勝ち誇っていた。「強権の勢力は普く国内に行亘つてゐる。
現代社会組織は其隅々まで発達してゐる。――さうして其発
達が最早完成に近い程度にまで進んでゐる…」という状況を、
啄木は「時代閉塞」と称んだのである。「我々は一斉に起(た)
つて先づ此時代閉塞の現状に宣戦しなければならぬ。我々自
身の時代に対する組織的考察に〔全精神を〕傾注しなければ
ならぬ」(「時代閉塞の現状」) 次回につづく>

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