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2020年7月16日 (木)

石川啄木伝東京編1910年(明治43)その178


 この8例の傍線部はすべて『一握の砂』において字余り
句へと推敲されている。大室によるこの推敲の発見は一連
の研究成果のうえになるものである。しかし大室はこれを
定型からの離脱」の意識によるものであると言う 。わた
くしは違うと思う。三行書に伴う推敲であると思う(後述
の「啄木三行書きの意義」参照)。
 大室はその研究の発展上に『悲しき玩具』の歌々がある
という。卓見である。
 さて、先に見たように『一握の砂』の原稿を東雲堂に入
れたのが10月16日、その後通例なら20日前後のある日「ス
バル」11月号に110首を寄稿した。「スバル」の歌の原稿が
あとで執筆されているのである。しかし今見たように11月
20日ころまでに『一握の砂』の歌を推敲する機会はあった
のである。さらに「スバル」12月号の場合も同様のことが
言える。12月号の送稿も11月20日前後であろうから、送稿
後に『一握の砂』の推敲はあり得るのである。
 「放たれし女のごときかなしみを/弱き男も/この日今
知る」(「スバル」12月号)と「放たれし女のごときかな
しみを/よわき男の/感ずる日なり」(『一握の砂』)を
くらべると、前者が推敲されて後者になったことは明らか
である。
 大室の研究はこうした考察までも可能にしたのである。

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