« 石川啄木伝東京編1910年(明治43)その175 | トップページ | 石川啄木伝東京編1910年(明治43)その177 »

2020年7月14日 (火)

石川啄木伝東京編1910年(明治43)その176

 どのような推敲が行われたのであろうか。これには斎藤
三郎の先駆的な仕事があるが 、大室精一の考察「啄木短歌の
形成(1)――『一握の砂』の音数律について――」が傑出し
ている 。大室はこの論文の中で、『一握の砂』551首中の
実に4割・219首が字余りの歌であることを指摘し、その
型および意義を精細に分析している。その分析のうちに本
文初校の出た11月3日ころから再校ゲラを東雲堂に届けた
日までのあいだに、啄木がいかなる推敲をなしたかを探る
資料も示されている。「スバル」1910年(明43)11月号に
寄せた短歌のうちの8首に啄木がつぎのような推敲をほどこ
したことを指摘しているのである。上の歌が「スバル」所載、
下の歌が『一握の砂』所収。

 ある日のこと室(へや)の障子をはりかえぬ
             その日はそれに心なごみき 
     →   ある日のこと
         室(へや)の障子をはりかえぬ
         その日はそれにて心なごみき

 誰が見てもわれなつかしくなるごとき
             長き手紙を書きたき夕(ゆふべ)  
     →   誰が見ても
         われをなつかしくなるごとき
         長き手紙を書きたき夕

 わが行きて手とれば泣きてしづまりき
             酔ひて荒れけるそのかみの友 
     →   わが行きて手をとれば
         泣きてしづまりき
         酔ひて荒(あば)れしそのかみの友

 

« 石川啄木伝東京編1910年(明治43)その175 | トップページ | 石川啄木伝東京編1910年(明治43)その177 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 石川啄木伝東京編1910年(明治43)その175 | トップページ | 石川啄木伝東京編1910年(明治43)その177 »

無料ブログはココログ

最近のトラックバック