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2020年7月18日 (土)

石川啄木伝東京編1910年(明治43)その180

  <承前>

「時代に対する組織的考察」の欲求は、一九一〇年前後の
文壇でさかんに書いていた「自然主義」の小説家たちから、
啄木を鋭く区別する。藤村(『春』一九〇八)や花袋
(『田舎教師』、一九〇九)や秋声(『足迹』、一九一〇)
や白鳥(「泥人形」、一九一一)には、鷗外や漱石の場合とは
異なり、明治国家と自己を同定する傾向がなかった。しか
し彼らには、国家、あるいは時代の社会の全体に対する「組
織的考察」も批判も、なかった。いわゆる「自然主義」の小説
家たちは、彼らの世代の知識人を代表していたのではなく、
その世代の知的活動からの脱落者であったにすぎない。し
かるに啄木は、脱落者であるどころか、同時代の青年の二
面――彼のいわゆる「内訌的」傾向と、時代に対する「宣戦」
の態度――を、典型的に代表していたのである。
 これが『一握の砂』の著者である。その諸作品が自然主義
短歌であろうはずがない。それらは啄木調短歌である。

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