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2020年8月 9日 (日)

石川啄木伝東京編1910年(明治43)その199

 しかし啄木が作ったのは短歌であり、しかる後にその短
歌作品に内在する「短歌在来の格調」を三行書きに拠って
破ったのである。「在来の格調を破」られた短歌は短歌で
ありつつ、詩になったのである。こうして啄木は嘗て存在
しなかった三行歌=三行詩を創造した。
 その行分けは無造作のように見えるが『あこがれ』「呼子
と口笛」の詩人石川啄木のセンスと技巧が行き亘っている。
 このような作品は短歌と詩と双方において一家をなした
希有の天才(啄木の外に北原白秋がいるのみ)によってし
か生み出し得ないものらしい(白秋は歌を「詩」にしよう
とはしなかったが)。
 ここに、土岐の一定の成果を除くと、その後誰も三行歌
に成功しなかった原因があるのだと思われる。
 ついでに言う。啄木の父石川一禎は生涯に四千首近い歌
を作った歌人でもあった。父の影響で啄木は幼児期から少
年期にかけて和歌の韻律を摂取したと推定される。啄木三
行歌は「在来の格調」を自在化した上での「くずし」なの
である。在来の技法を若くして摂取した後「くずし」に入
ったピカソを私は連想する。

 

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