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2020年8月 6日 (木)

石川啄木伝東京編1910年(明治43)その196

 1910年(明43)10月22日、吉野章三あて書簡のなかで啄木
はこう言っている。(今度の歌集は)
『一握の砂』と題して来月上旬東雲堂より発刊致すべく、一首
を三行に書くといふ小生一流のやり方にて(現在の歌の調子を
破るため)……」と。
 また、「明治四十四年当用日記補遺」の「前年(四十三)中
重要記事」の中にも以下の記述が見える。「十二月――初旬
『一握の砂』の製本成る。……一首を三行として短歌在来の
格調を破れり。」と。
 短歌の三行書きがなぜ「小生一流のやり方」なのか、土岐哀
果という先行者がいるではないか。またなぜ短歌を三行書きに
することが「現在の歌の調子を破る」こと・「短歌在来の格調
を破」ることなのか。
 土岐との関係の考察は前掲小論にゆずり「現在の歌の調子
短歌在来の格調」とは何を指すのか、これを調べてみよう。
石川啄木は最初の歌論「一利己主義者と友人との対話」でこう
述べる(その前に七五調や五七調のことも話題にのぼっている)。
 のみならず、五も七も更に二とか三とか四とかにまだまだ分
解することが出来る。歌の調子はまだまだ複雑になりうる余地
がある。昔は何時の間にか五七五、七七と二行に書くことにな
つてゐたのを、明治になつてから一本に書くことになつた。
 今度はあれを壊すんだね。歌には一首一首各異つた調子が 
ある筈だから、一首一首別なわけ方で何行かに書くことにするんだね。

 

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